今朝考えてたこと

私はここ数年出会った人に「優しい」とか「人の痛みがわかる人」とか言われる

でも学生時代の私を知ってる人がそれを知ったら絶対にありえないと言うと思う



私は学生時代、本当によく人の外見をからかう人間だった

それもかなり悪質で、

背が低い人にはチビとか、制服特注した?とか言っていたし、

顔が整ってる人が何かをする度に可愛い、可愛いというクセに、あまり顔が整っていない人にはブス!と笑いながら言う、

ニキビが多い人の似顔絵を頼まれてもないのに描いてその人の目の前で顔中にたくさんの点々を打ち付けたり、

修学旅行で女子みんなで大浴場に入ることになったとき、隣の子の胸を覗き込んで「ちっさ、背が小さいからかw」とか言ったり

忘れ去りたいくらい最悪で下品なことをたくさんしてきた

みんな笑ってくれていたから、ウケてるんだと勘違いしていた


忘れ去りたい、思い出すといつも大声を出して自分の身体中を引っ掻きたくなる

でも言われた方は忘れてないだろうから、私も絶対に忘れちゃいけない



当然そんな私の周りに人は集まらないから、私は学生時代孤立していた

友達という友達はほとんどいなくて、いつも一人だった

それが何故なのかわからなくて、いつも寂しかった



今になってこれは言い訳に過ぎないのだけど、なんとあの頃の私は、人の容姿をからかうことが相手を傷つけること、してはいけないことだと知らなかった



授業中にガムを噛んでいたら先生にめちゃくちゃ怒鳴られたことがある

授業中だったから教室から追い出された

そのとき初めて、授業中にガムを噛んではいけないと学んだ


授業中にガムを噛むことで授業をしている先生がどんな気持ちになるかとか私がクチャクチャ言ってる音を聞く周囲がどんな風に思うかとかを考えられなかった自分の視野の狭さも問題かもしれないが、

そのときは本当にわからなかった


他のみんなは、授業中にガムを噛んではいけないことを、いつ、誰に教えてもらったんだろう、羨ましい、授業中はガム噛んじゃいけないって知ってたら、私だってしてなかったのに!

とその時とても悔しかったのを覚えている




人の容姿をからかうことも、なんかずっとテレビで見てきていたし、家族もテレビに出てくる芸能人の容姿をとやかく言うし、小中学生の頃は男子にいつもデブとか死ねとかブスとか言われてたし、いつも父親が母親に豚って言っていたから私たち姉妹も母に豚って言ってた、それが普通だった


そのコミュニケーションが特別に楽しかったことはないけど、人の容姿をからかう言葉を吐いて言われた方は笑うというのは当たり前に行われているものだったから、なんの違和感も覚えずに育ってしまった


その結果無差別に人を傷つけまくるヤバい奴になってた

言われた方がどんな気持ちになるかとか、そんなことは思ってても口に出してはいけないとか、考えたことがないからわからなかった




ある日クラスメイトに「お前みたいなやつが一番嫌いなんだよ」と言われた

突然そんなことを言われて、びっくりして涙がでた

すると相手もため息をついて「泣けばいいと思ってんのか」と言った

あまりに心外な言葉だったので涙が止まらなくなった


今思い返してもあの言葉には傷つくけど、相手の気持ちもわかる

私も今あの頃の私みたいな人間が近くにいたとして、好きになるわけがない


その言葉をきっかけに、あっやっぱり私って嫌われてるんだ、なんで嫌われてるんだ?と考えるようになった

遅すぎるけど、自分の悪いところがわかるようになってきた



とにかく人に嫌われるような自分が嫌で、自分を変えたくなった

人を傷つける人のまま生きていくのは嫌だった

そして周りに誰もいないまま生きていくのも絶対に嫌だった



たくさんの犠牲者を出してきたが、かなり遅れて今の私はある程度は人に気を遣う、言葉を選ぶ、少なくとも学生時代の私よりは人を喜ばせようと努力する人間になっていると思う





明日は我が身だな、とよく思う


これまで五体満足で何不自由なく生きてきた人が突然交通事故に遭い手足を失うことは珍しいことじゃない


たとえば我が子を虐待死させた母親が捕まったことに対して、「我が子を殺すなんて最低」「母親失格」などのコメントが存在する

もちろん人を殺すのは最低な行為で、その母親がやったことは許されないことなんだけど、

その母親が妊娠中出産中に「産まれたら絶対に虐待して殺すぞ」という強い意志を持ってたかと言うと、その可能性は低いだろう

育児があまりにも大変だとか、子育てできる環境じゃなかったとか、様々な要因があると思う

その母親は犯罪者になってしまったけど、犯罪者になるために母親になったわけじゃないだろう



閉鎖病棟に入院していた時、激しい被害妄想をする患者がいた

ある夜その人が院内の公衆電話から110番をして、「病院がグルになって私の脳内を覗き込んでる」みたいなことを警察に言っていた

その時はびっくりしたし周りの患者は呆れていたし看護師さんも迷惑そうにしていたけど、その人も様々な要因があって病気になっている

そして今のその人にはその人にしかわからない世界があって、その世界をその人は信じている

もし今自分が信じている世界が本当はニセモノで、実は自分の見えないところにホンモノの世界があるとしても、今生きている世界を信じて生きるだろう

その世界が楽しかったら笑うし、辛かったら悲しいし、酷いことをされたら怒る



何事も自分に置き換えて考えてみると、この世に悪い人なんかいない気がしてくる

家庭環境、人間環境、様々なものから影響を受けて人間は形成される

赤ちゃんの頃に「大きくなったらたくさんの人に迷惑をかけよう!」と思ってた悪人なんかいないだろう

私も子供の頃「人を無差別に傷つけまくって誰にも愛されない大人になりてえ〜!」なんか思ってなかった


みんな元は何も持ってなかった



学生時代の私だったら、子供を虐待死させた母親に対して、笑いながら「人殺し」と言っているかもしれない

今の私に対して「ババア」「ゴミニート」「中途半端に生きるなら死ね」とか言ってると思う




私は人に優しい人間でありたい

それは、人に優しい人間であることで、過去の自分の過ちを許してあげようとしている部分もある




有名人に対して、こいつ昔はああだったのにとその人の過去の過ちを引っ張ってくる人がインターネットにはたくさんいる

まじでやめてくれと強く思う

それは私が今それをいつされるかわからないし、されてもそれを認めるしかないからだ



人は変わると信じてる

一週間かけて英単語を1000個覚えれば一週間後には一週間前より英語が読める人になっているし、自炊を毎日やっていれば料理のコツが掴めてくるし、良くなろうと思い続け努力していれば良い人間になることができる


向上心がある限り、どこまでも向上できると私は信じてる




あの時私に「お前みたいなやつが一番嫌いなんだよ」と言った人に対して、あの時言ってくれてありがとうとも思う

私が自分を省みるきっかけができたし、あれから10年近く経った今「お前みたいなやつが一番嫌いなんだよ」と言われても、10年前の私と今の私は全然違うから、あなたが私を憎んできた10年間を私は返してあげられない




人の容姿をからかうことばかりして、人を不快にさせるコミュニケーションしかとれず、誰からも相手にされなかったことがあるけど、優しいとか人の痛みがわかるとか言われてたくさんの友達に囲まれる人間になることができた


しかし今でもたまに人を傷つける言動をしてしまうことがある

それは無意識であったり、カッとなって衝動的に行ったものもある

けれどそれを反省していて、繰り返さないように努力しているから、一年後の私は全く嫌なことを言わない人間になっているかもしれなくて、これは言い訳なんだけど、だから長い目で見ててほしいし、てかみんないつも許してくれてありがとう


私はいま周りにいる人がみんな優しいか面白いか優しくて面白いかなのがまじで嬉しい、本当にみなさんいつもありがとうございます


というのを今朝考えていました