忘れた話
まだ今の新しい実家に移ってないから私が小学校3年生くらいの頃
夜中、目が覚めたか眠れなかったかで、なんとなく、リビングがある一階に降りた
リビングには父親が一人だけいて、父親は小さい音でテレビをつけながら一人で焼酎を飲んでた
私はその頃から父親が嫌いだった
よく癇癪を起こすし怒鳴ってばかりだから、話しかけられても無視をしていたし、たまにイラついて反抗でもしたら、何倍にもして殴り返してくる父だった
しかしその日は、いつもなら寝てる時間に、父親と私の二人だけが夜更かしをしているのは、少し嬉しくて、ドキドキした
しばらく何も話さずに父親と一緒にテレビを見ていたら、
父親が「お前にだけ話したいことがある」と言った
俺のオヤジ、お前のじいちゃんがな、昔悪いことしてな、お父さんは小さい頃北朝鮮に逃げてたんだよ、じいちゃんの指無かったの覚えてるか?
でもじいちゃんは、お前みたいに面白い人だったよ、マムシを捕まえてきて、生きたまま酒に漬けてたんだ、変わってるだろ、変わってて面白くて、でも周りには優しい人だった、お前はじいちゃんにそっくりだよ、
私は眠くて父親の話をなんとなく半分だけ聞いてた
私が産まれる前に死んだから写真に写ってる一つの表情しか知らないじいちゃん
あとは父親になんか人生のアドバイスみたいなのをされた
でもあんまり聞きたくなくて、あんまり聞いてなかった
でもそのときついてたテレビから小さい音で流れてきてた曲は、何年経ってもずっと覚えてた
音楽番組で、今週のオリコンランキングを発表してた
男の人何人かのバンドで、ボーカルの人が大きい声で、怒鳴るように、同じことを繰り返し歌ってた
あれから10年以上経った
父親とはもう全く連絡を取っていないどころか帰省の時期は間違ってでも被らないようにしている
まともに会話した記憶なんかほとんどない
でも父親とのあの夜のことはたまに思い出して、その度に頭の中であの曲が流れていた
最近になって、あの曲は青春パンクというジャンルなのではないかとわかった
少しだけ覚えてる歌詞とあの頃のCD売上ランキングなんかを頼りに検索したら、あの曲が誰のなんていう曲なのかすぐわかって、また聴くことができそうだ
でも、あの時のあの小さい音で聴いたあの曲を、どこの誰が歌ってるのか知っちゃったら、また聴くことができちゃったら、なんかあの夜が終わるような気がして、
ずっと、知らない曲のままにしていたかった
あの曲のことをわかってしまったら、父とのあの夜が、大したことない思い出に変わっちゃうような気がしていた
私は25歳になった
アルコール依存症とうつ病、その他精神疾患を数々患って、治療のために精神薬を飲んでいる
過度飲酒の影響で脳が縮んだのと、処方されてる精神薬で頭が常にポーっとしてるせいで、日々の記憶が薄い
一昨日、ふと父とのあの夜のことを思い出した
父が私だけに秘密の話をしてくれた夜
あのとき流れていたあの曲を頭の中で流そうとした
できなかった
忘れてしまった
どんな歌詞かもどんなメロディかも思い出せない
いくら考えても全く思い出せない
今日もまたあの曲を思い出そうとした
でも、思い出せない、何も
歌詞も、メロディも、
あんなに何年もずっと頭に残ってたのに
父と私二人だけの夜が、記憶の中でだけ生きていた父との思い出が、終わってしまったみたいで、ただ悲しい