犬を飼いたい

犬を飼いたい

 

 

 

昔からの癖、気をつけていないとずっと考え事をしてしまう

でも考える事は決まってしょうもないこと、あのときああしとけばよかったとか、あのときは嬉しかったなとか、あのときのあれは傷ついたなとか、過去のことをグダグダウダウダ、だから私は天才じゃない

 

考え事は何も楽しくない、忘れ去りたいことを思い出すし思い出したくないことを後悔する、何も考えたくないから毎日テレビをつけながらiPadでアマプラを再生しながら誰かのツイキャスを聴くし、電気を消して横になると考え事との一体一になって苦しいから、朝が近い深夜になると鎮静剤を飲んで強制的に眠る

 

 

最近、考え事をストップさせたいときは、深海に落ちてしまったイメージをするようにしてる

昔好きな人に、考えたくない物事を巨人に遠くまで投げてもらうイメージを教えてもらってしばらく実行してたけど、深海に落ちてしまったイメージの方が私にはしっくりきた

 

 

深くて深くて、光も届かない、真っ暗で何も見えない、何も聞こえない、深海に落ちてしまった、いくら泳いでも、どれだけもがいても、陸には戻れない、周りには何も無い、ここには私一人しかいない、もう陸には戻れない、戻れない、これはもう陸のことを考えても仕方がない、だって戻れないんだから、しょうがない、全部、何をしても無駄

 

そうイメージすると、力んでいた眉間の緊張がとけて、不思議な安心感につつまれる

 

 

 

 

 

昔からある自分の嫌なとこのもう一つは、他人があまりにも苦手だということ

 

子供の頃、親の知り合いに会うことが死ぬほど嫌だった

そろばんを習っていたが、やる内容は楽しいのにそこにいる人間に会うことがメチャクチャに苦痛で、火曜日と土曜日の20時が大嫌いだった

場面緘黙症もあり、家族と極小数の友達以外の人の前では一言も言葉を発せなかった

 

なんであんなに他人が苦手だったのか

 

人に見られていると何をしていいかわからなくなるというか、周りの子みたいに明るく振る舞うことができなくて恥ずかしいとか、そういうことを感じていた気がする

「愛想が悪い、濡れ雀みたい」って知らないおばさんに言われたことをずっと覚えているから

 

 

学校も嫌だった、双子だからいつも姉と比べられて、お姉ちゃんは二重で目がくっきりしてるけど妹ちゃんは、とか、お姉ちゃんは顔がシュッとしてるのに妹ちゃんは、とかって言われるから、姉に負けないように勉強とか美術とか運動とか他のこと頑張らなきゃいけなくて、頑張っても姉は可愛い、私は濡れ雀、姉は可愛いのにって言われても笑わなきゃいけなくて、

 

中学までは家族と同居していたから無理にでも学校に通ってたけど、高校生になって下宿生活が始まると学校に行かないという選択肢を自分で選べることに気付き、引きこもりがちになった

 

 

もう親の知り合いも、姉と比べてくる人もいないのに、ずっと他人が苦手だ

頭の中の愛想が良く可愛い子達と自分を比べては、あんな風に明るく振る舞うことが自分にはできない、また人に嫌な思いをさせる、という意識がずっとある

 

 

大人になってから、飲み会などでよく「変な子だね」と言われる

それは私を安心させる言葉だ

変な子って思われてたら、周りと同じことができなくても、あなたを嫌な気持ちにさせない

 

でも歳をとるにつれて頭の中の子達のフリはできるようになった、

いつもより明るい調子で可愛く返事、今関係ない話を唐突に始める、大袈裟に笑う、自分勝手なことを言う、ゲップやおならも笑いながら出しちゃう、

そうしたら周りの人は私を馬鹿だと思って可愛がってくれる

仏頂面で大人しくて愛想が悪くて濡れ雀の可愛くない私より全然いい

 

 

そんなことをずっと頑張っていると急にしんどくなってしまうからやっぱり他人が苦手

 

 

 

バイトも続いたことがない

 

業務内容は嫌じゃなくても、その場にいる人に会うことが嫌すぎて、最初の2ヶ月は頑張れても3ヶ月目には急に行けなくなってしまう

 

 

不登校だった頃、どうして学校に来ないのか訊かれ、なにか答えなきゃと思い、お腹が痛いと嘘をついていた

 

そしたらいつの間にか本当に、職場に向かおうとすると動けないほどの腹痛が生じる体になってしまった

 

最近は実働4時間で日給8000円、帰りは大好きな飛行機を見ることができる倉庫でのバイトをしていたが、ある日片道1時間かけて来た倉庫の目の前で腹痛が生じて、そのままバックレてしまった

 

 

 

 

犬を飼いたい

 

 

厳密に言えば、犬に会いたい

 

12歳のとき、突然実家に二匹の犬がやってきた

多頭飼育してる地元の知り合いの家から、父親が一歳くらいの双子の子犬を二匹もらってきた

 

双子なのに少し見た目が違っていて、毛がストレートで真っ白な方にはアレン、少し癖っ毛でグレーがかった色味の方にはセナと名付けた

 

布団の真ん中を取ってくるのがセナ、上に乗ってくるのがアレン

アレンもセナも布団に入ってきた日はすごく寝苦しいけど、でもそれはすごく幸せな時間だった

出掛けるときと帰宅したときはアレンもセナも玄関先まで走ってきれくれる

セナは人懐っこくて、座ってるとすぐ膝の上に乗ってくる

ご飯を食べてる最中にセナが膝の上に乗ってることに気付かなくてそのまま立ち上がって、セナの頭をテーブルにぶつけてしまったことが何回かある

それでもセナは懲りずに膝の上に乗ってくる

アレンは触ろうとすると噛み付いてくる、噛み付いてくるのが面白くてたくさん触ってたら顔をめちゃくちゃに噛まれたことがある、アレンは本当に元気だな

 

全然性格が違うけどすごく仲良しで、世界一可愛くて世界一大好きなアレンとセナ

 

高校進学で実家を離れてからは、年に一、二回しか会えてない

 

アレンもセナも誕生日はわからないけど多分いま14歳くらいで、セナはもう目が見えなくて耳も聞こえなくて歩けないらしい

 

会いたい

 

アレンとセナが奇跡的に絶対に死なない犬でありますように

 

 

 

 

 

 

二十歳を超えてから、数回自殺未遂をした

 

あの頃は理想の自分になれない自分のことが大嫌いでとても憎くて、そんな状態が毎秒毎秒苦しくて、抑えられないほど強い、消え去りたくてたまらない衝動に駆られていた

 

リストカットするやつは馬鹿だよ、同じくらいの痛みなのにピアスは飾りになる

と思って自分の体にめちゃくちゃピアスを空けてた

どちらも自傷どんぐりの背比べ

 

 

歳を重ねるにつれて理想の自分というものが薄れてきて、今はただあの頃みたいに自分を傷つけたりしないで、苦しまずにたまに楽しいことをして息ができていたらそれでいいと思って暮らしている

 

ただ、あの頃の強い死にたさ、もう衝動的にピアスを空けたり精神薬をガブ飲みしたりするほどの苦しさはなくなったが、漠然とまだ、う〜っすらと死にたい

 

前進するためには、カーテンを開けて日光を浴びなきゃとか、夜よく眠れるために日中は縦にならなきゃとか、健康でいるために自炊を頑張らなきゃとか、汚部屋に戻らないために食器を洗わなきゃとか、散らかった状態を部屋のデフォルトにしてはいけないとか、もう自暴自棄にならないために残高を気にしながら節約しなきゃいけないとか、趣味があると鬱にならないらしいからアニメや映画を頑張って最後まで観ようとか、2日に1回以上は風呂に入らないと引きこもりだった頃の自分と同じ臭いがしてしまうとか、

 

自分のために頑張っていることが、ずっと、ずっと!

めんどくさい!!

でも、でも!

やり続けなきゃ過去の自分に戻ってしまうかもしれないという恐怖があって、それがとにかく、こわい!

 

 

 

ずっとずっと、うっすらとしんどい

 

 

 

 

私は頑張ろうとしなきゃ頑張れないな



小さい頃は勉強ができて絵が上手かったのでなんでもできる子と言われてた、高校生あたりからやればできる子と言われるようになって、いつの間にかなにもできない大人になっていた

 



未来は今の延長線上にしかないことに絶望する

人と比べたときの自分の頼りなさ?不甲斐なさ?社会性のなさ?社交性のなさ?足りないものばかり、自分の変なところたち、これはずっとずっとずっと続くからずっとずっとずっとこれを、解決できるように頑張ったり、逃げたり隠れたり隠したりラジバンダリしながら、これからもずっとずっとずっと、私は私のままで生きていかなきゃいけない、

そう思うと、なんで死ねないんだろ私?と思うことがあって

 

 

泥酔しながら夜道を歩いていると、隣を通る車に轢き殺してくれ〜!と思ってしまう

 

 

 

 

深海って、苦労のない穴なのかも

 

 

 

 

自分の服はいつも生臭く感じる

 

 

 

 

 

もう絶対に過去の自分に戻らないと自分に誓った日、生きるか死ぬかの選択は済ませた

 

 

生きていかなきゃいけないんだよ

 

 

生きてるんだから、生きていかなきゃいけない

生きていくには、生活を、ちゃんとしなきゃ、他の人みたいに、ちゃんと働いて、公共料金を滞納しないで、夜寝て朝起きて、野菜と米を食べて、人とは笑顔で会話する、毎日、毎日、絶望したって傷ついたって毎日、風呂に入って、部屋を綺麗に保って、食器は使うたびに洗って、洗濯とゴミと支払いは溜めない、それを繰り返すしかないんだよ、

 

 

お腹が痛くても働くんだ、日々は続くのだから

 



 

もしアレンとセナがいたら

自分のために頑張れないこと達の全部を、アレンとセナのために頑張れる気がするんだよなあ



 

頑張って生きていきたい

今朝考えてたこと

私はここ数年出会った人に「優しい」とか「人の痛みがわかる人」とか言われる

でも学生時代の私を知ってる人がそれを知ったら絶対にありえないと言うと思う



私は学生時代、本当によく人の外見をからかう人間だった

それもかなり悪質で、

背が低い人にはチビとか、制服特注した?とか言っていたし、

顔が整ってる人が何かをする度に可愛い、可愛いというクセに、あまり顔が整っていない人にはブス!と笑いながら言う、

ニキビが多い人の似顔絵を頼まれてもないのに描いてその人の目の前で顔中にたくさんの点々を打ち付けたり、

修学旅行で女子みんなで大浴場に入ることになったとき、隣の子の胸を覗き込んで「ちっさ、背が小さいからかw」とか言ったり

忘れ去りたいくらい最悪で下品なことをたくさんしてきた

みんな笑ってくれていたから、ウケてるんだと勘違いしていた


忘れ去りたい、思い出すといつも大声を出して自分の身体中を引っ掻きたくなる

でも言われた方は忘れてないだろうから、私も絶対に忘れちゃいけない



当然そんな私の周りに人は集まらないから、私は学生時代孤立していた

友達という友達はほとんどいなくて、いつも一人だった

それが何故なのかわからなくて、いつも寂しかった



今になってこれは言い訳に過ぎないのだけど、なんとあの頃の私は、人の容姿をからかうことが相手を傷つけること、してはいけないことだと知らなかった



授業中にガムを噛んでいたら先生にめちゃくちゃ怒鳴られたことがある

授業中だったから教室から追い出された

そのとき初めて、授業中にガムを噛んではいけないと学んだ


授業中にガムを噛むことで授業をしている先生がどんな気持ちになるかとか私がクチャクチャ言ってる音を聞く周囲がどんな風に思うかとかを考えられなかった自分の視野の狭さも問題かもしれないが、

そのときは本当にわからなかった


他のみんなは、授業中にガムを噛んではいけないことを、いつ、誰に教えてもらったんだろう、羨ましい、授業中はガム噛んじゃいけないって知ってたら、私だってしてなかったのに!

とその時とても悔しかったのを覚えている




人の容姿をからかうことも、なんかずっとテレビで見てきていたし、家族もテレビに出てくる芸能人の容姿をとやかく言うし、小中学生の頃は男子にいつもデブとか死ねとかブスとか言われてたし、いつも父親が母親に豚って言っていたから私たち姉妹も母に豚って言ってた、それが普通だった


そのコミュニケーションが特別に楽しかったことはないけど、人の容姿をからかう言葉を吐いて言われた方は笑うというのは当たり前に行われているものだったから、なんの違和感も覚えずに育ってしまった


その結果無差別に人を傷つけまくるヤバい奴になってた

言われた方がどんな気持ちになるかとか、そんなことは思ってても口に出してはいけないとか、考えたことがないからわからなかった




ある日クラスメイトに「お前みたいなやつが一番嫌いなんだよ」と言われた

突然そんなことを言われて、びっくりして涙がでた

すると相手もため息をついて「泣けばいいと思ってんのか」と言った

あまりに心外な言葉だったので涙が止まらなくなった


今思い返してもあの言葉には傷つくけど、相手の気持ちもわかる

私も今あの頃の私みたいな人間が近くにいたとして、好きになるわけがない


その言葉をきっかけに、あっやっぱり私って嫌われてるんだ、なんで嫌われてるんだ?と考えるようになった

遅すぎるけど、自分の悪いところがわかるようになってきた



とにかく人に嫌われるような自分が嫌で、自分を変えたくなった

人を傷つける人のまま生きていくのは嫌だった

そして周りに誰もいないまま生きていくのも絶対に嫌だった



たくさんの犠牲者を出してきたが、かなり遅れて今の私はある程度は人に気を遣う、言葉を選ぶ、少なくとも学生時代の私よりは人を喜ばせようと努力する人間になっていると思う





明日は我が身だな、とよく思う


これまで五体満足で何不自由なく生きてきた人が突然交通事故に遭い手足を失うことは珍しいことじゃない


たとえば我が子を虐待死させた母親が捕まったことに対して、「我が子を殺すなんて最低」「母親失格」などのコメントが存在する

もちろん人を殺すのは最低な行為で、その母親がやったことは許されないことなんだけど、

その母親が妊娠中出産中に「産まれたら絶対に虐待して殺すぞ」という強い意志を持ってたかと言うと、その可能性は低いだろう

育児があまりにも大変だとか、子育てできる環境じゃなかったとか、様々な要因があると思う

その母親は犯罪者になってしまったけど、犯罪者になるために母親になったわけじゃないだろう



閉鎖病棟に入院していた時、激しい被害妄想をする患者がいた

ある夜その人が院内の公衆電話から110番をして、「病院がグルになって私の脳内を覗き込んでる」みたいなことを警察に言っていた

その時はびっくりしたし周りの患者は呆れていたし看護師さんも迷惑そうにしていたけど、その人も様々な要因があって病気になっている

そして今のその人にはその人にしかわからない世界があって、その世界をその人は信じている

もし今自分が信じている世界が本当はニセモノで、実は自分の見えないところにホンモノの世界があるとしても、今生きている世界を信じて生きるだろう

その世界が楽しかったら笑うし、辛かったら悲しいし、酷いことをされたら怒る



何事も自分に置き換えて考えてみると、この世に悪い人なんかいない気がしてくる

家庭環境、人間環境、様々なものから影響を受けて人間は形成される

赤ちゃんの頃に「大きくなったらたくさんの人に迷惑をかけよう!」と思ってた悪人なんかいないだろう

私も子供の頃「人を無差別に傷つけまくって誰にも愛されない大人になりてえ〜!」なんか思ってなかった


みんな元は何も持ってなかった



学生時代の私だったら、子供を虐待死させた母親に対して、笑いながら「人殺し」と言っているかもしれない

今の私に対して「ババア」「ゴミニート」「中途半端に生きるなら死ね」とか言ってると思う




私は人に優しい人間でありたい

それは、人に優しい人間であることで、過去の自分の過ちを許してあげようとしている部分もある




有名人に対して、こいつ昔はああだったのにとその人の過去の過ちを引っ張ってくる人がインターネットにはたくさんいる

まじでやめてくれと強く思う

それは私が今それをいつされるかわからないし、されてもそれを認めるしかないからだ



人は変わると信じてる

一週間かけて英単語を1000個覚えれば一週間後には一週間前より英語が読める人になっているし、自炊を毎日やっていれば料理のコツが掴めてくるし、良くなろうと思い続け努力していれば良い人間になることができる


向上心がある限り、どこまでも向上できると私は信じてる




あの時私に「お前みたいなやつが一番嫌いなんだよ」と言った人に対して、あの時言ってくれてありがとうとも思う

私が自分を省みるきっかけができたし、あれから10年近く経った今「お前みたいなやつが一番嫌いなんだよ」と言われても、10年前の私と今の私は全然違うから、あなたが私を憎んできた10年間を私は返してあげられない




人の容姿をからかうことばかりして、人を不快にさせるコミュニケーションしかとれず、誰からも相手にされなかったことがあるけど、優しいとか人の痛みがわかるとか言われてたくさんの友達に囲まれる人間になることができた


しかし今でもたまに人を傷つける言動をしてしまうことがある

それは無意識であったり、カッとなって衝動的に行ったものもある

けれどそれを反省していて、繰り返さないように努力しているから、一年後の私は全く嫌なことを言わない人間になっているかもしれなくて、これは言い訳なんだけど、だから長い目で見ててほしいし、てかみんないつも許してくれてありがとう


私はいま周りにいる人がみんな優しいか面白いか優しくて面白いかなのがまじで嬉しい、本当にみなさんいつもありがとうございます


というのを今朝考えていました

人生ではじめてデパコスを買った話


今日人生ではじめてデパコスを買った

来週誕生日を迎える妹へのプレゼントのために




私には双子の姉と、3つ下の妹がいる

幼い頃の記憶は私と姉が遊んでいるところに突然赤ちゃんが入ってきたかんじ

私と姉はよく喧嘩をしていて、その隣で妹が誰よりも泣いていた



ずっと私と姉の真似をする子だった

ずっと私と姉と自分を比べては落ち込んだりしてる子だった

でも私は妹のことが可愛くてたまらなかった

それは妹が赤ちゃんの頃からそうだし、妹が22歳になってバリバリのオフィスレディになった今もそう

妹がコンプレックスに感じてる天パも、八重歯も、ものすごく可愛い




私だけ地方の大学に行き、姉は東京の大学、妹は姉と同じ東京の短大に行って姉と同じ家に暮らした

姉が外で遊んでばかりで家に全然帰ってこなくて寂しい、と妹はよく言ってて、私はあんなに可愛い妹を寂しくさせるな!と姉によく怒ってた

夏休みとか長期休みになると貯めていたバイト代を全部もって東京に行って妹といっぱい遊んだ

「姉はいつも割り勘だけど()はいつも奢ってくれるから好き」

って妹が言うからいっぱい奢ったしなんでも買ってあげた


私が着なくなった服を妹に着せたり、妹に似合いそうな服やアクセサリーを買ったり

可愛いと思うけど自分でやるには勇気が出ないようなメイクを妹にしたとき、化粧にまだ慣れていない妹は瞼をプルプルさせてマスカラに怯えてた




ある夜、妹と外で夕飯を食べてカラオケをした帰り道、

歩道橋の上からキラキラ光る街を見回した妹が「すごいきれい、すごいたのしい!今すごくたのしい、今日のこと絶対忘れない」と言ってた





大学を卒業したら私も東京で暮らす予定で就活をした

でも精神疾患を患ってしまったので就職を諦めた

家族には精神疾患を患ったことがバレたくなくて嘘をつき、東京でフリーターをやりたいということで上京し姉と妹が住む家で私も暮らすことになった





上京したばかりの頃は妹とそれまで通り楽しく過ごした

昼夜関係ない生活なので夜更かしした日は妹の朝食と弁当を作って、

化粧が苦手な妹に化粧をしてあげてから学校に見送った




でも私は無職だ

精神疾患があるからバイトもあんまりできない

妹にあんまり奢れなくなった

それが恥ずかしくて妹と出掛けなくなった



大学の同級生が仕事の話ばかりするようになったからSNSが見れなくなった

私は今日も明日も明後日も何も予定がない

妹は私がこんな人間だと思ってなかっただろう、真似したくなるしいつも奢ってくれるお姉ちゃんのはず

自分が恥ずかしくて情けなくなる毎日

部屋にこもって酒ばかり飲むようになった

妹は私に失望してるだろう、恥ずかしい姉だと思ってるだろう、そう思うと

部屋から出て妹に存在を感じ取られるのが怖くて部屋から出れなくなった

トイレにも行けず糞尿も部屋で済ませた

糞尿くさい部屋にこもって酒ばかり飲む姉なんか最悪だから死んだほうがいい

たまに外に出たい時は妹に「今家にいる?」とLINEして「いない」と返信が来るのを待った

私と妹のLINE履歴はそればかりで埋まっていた






時が経って妹の卒業式になった

母親と父親が東京まで出てきて卒業式に参加した

私は遠くの公園で朝からずっと酒を飲んでた





卒業した妹は地元に就職した

妹が家を出ていく日も私は部屋で酒を飲んで寝てた





あんなに仲良しだったのにすごく遠い存在になった

でも私は妹のこと全然嫌いになったわけじゃなかった、それどころかずっと大好きな世界一可愛い妹のまま

なのにあんなに酷いことをした、もう戻れないかな、戻れないよな、と考えていた





しばらくして私は酒の飲みすぎで体を壊して入院した



そのときに親に全部バレた

私が精神疾患を患ってて引きこもりになっていることも、妹のことが怖いことも




そして母が教えてくれた

「妹、()が避けてくるって言ってたよ、悲しいって。一緒に住んでるのに一人暮らしみたいで寂しいって。」


ものすごく後悔した

私は姉と同じことをしてる

私まで妹を寂しくさせた

妹は私ともっと一緒に遊びたかっただろう

家にいるときは私とおしゃべりでもしたかっただろう

また私のご飯を食べたかったかもしれない

妹は私のことを恥ずかしい姉だなんて言ったことなかった、私は妹のことを見ていなかった



これからは妹に優しくしよう、なんでも話そう、と思うようになった


でも緊張するし恥ずかしくてなかなかうまくできない

姉と妹は毎日のようにLINEで雑談をしてるみたいだけど、私は妹と何を話せばいいかわからない






去年の夏、家族で旅行に行った

妹に会うのは久しぶり、しかも今の私は酩酊していなくてシラフ、シラフで妹と向き合うのはすごく久しぶりで緊張した


最初は何を話せばいいかわからなかったけど、妹は今自分がハマってるメイクやコスメについてずっと語ってた

それを聞いてるのがすごく嬉しかった




母に「妹に謝りたい」と言ったら、「もう妹も気にしてないよ、これからまた仲良くしたらそれでいいよ」と言われた





それから妹と仲良くなったかといえばそうでもなくて、

LINEでやり取りはしないし、妹の近況も特に知らない


でもある日私のインスタに鍵垢からフォローがきた

誰だろうとフォロー申請をしたらすぐ通った、

見たら妹がコスメやネイルを載せるアカウントだった


それまで妹のツイッターやインスタを知らなかったから、すごく嬉しかった

また仲良くしよう と言われているようだった






今日人生ではじめてデパコスを買った


PARCOの1階のデパコス売り場でMACのハイライトを買った


販売員のお姉さんに「何かお探しですか?」ときかれて

「コスメが好きな妹の誕生日プレゼント探してるんですけど、どれがいいですかね?」とこたえた




久しぶりに妹とのLINEのトーク画面を開いて

「誕プレ送るけん住所おしえて」

と送ったら、住所と

「ありがとう」

のスタンプが返ってきた

忘れた話

まだ今の新しい実家に移ってないから私が小学校3年生くらいの頃

夜中、目が覚めたか眠れなかったかで、なんとなく、リビングがある一階に降りた

 


リビングには父親が一人だけいて、父親は小さい音でテレビをつけながら一人で焼酎を飲んでた

 


私はその頃から父親が嫌いだった

よく癇癪を起こすし怒鳴ってばかりだから、話しかけられても無視をしていたし、たまにイラついて反抗でもしたら、何倍にもして殴り返してくる父だった

 


しかしその日は、いつもなら寝てる時間に、父親と私の二人だけが夜更かしをしているのは、少し嬉しくて、ドキドキした

 


しばらく何も話さずに父親と一緒にテレビを見ていたら、

父親が「お前にだけ話したいことがある」と言った

 

俺のオヤジ、お前のじいちゃんがな、昔悪いことしてな、お父さんは小さい頃北朝鮮に逃げてたんだよ、じいちゃんの指無かったの覚えてるか?

でもじいちゃんは、お前みたいに面白い人だったよ、マムシを捕まえてきて、生きたまま酒に漬けてたんだ、変わってるだろ、変わってて面白くて、でも周りには優しい人だった、お前はじいちゃんにそっくりだよ、

 


私は眠くて父親の話をなんとなく半分だけ聞いてた

私が産まれる前に死んだから写真に写ってる一つの表情しか知らないじいちゃん

あとは父親になんか人生のアドバイスみたいなのをされた

でもあんまり聞きたくなくて、あんまり聞いてなかった

 

でもそのときついてたテレビから小さい音で流れてきてた曲は、何年経ってもずっと覚えてた

音楽番組で、今週のオリコンランキングを発表してた

男の人何人かのバンドで、ボーカルの人が大きい声で、怒鳴るように、同じことを繰り返し歌ってた

 


あれから10年以上経った

 


父親とはもう全く連絡を取っていないどころか帰省の時期は間違ってでも被らないようにしている

まともに会話した記憶なんかほとんどない

でも父親とのあの夜のことはたまに思い出して、その度に頭の中であの曲が流れていた

最近になって、あの曲は青春パンクというジャンルなのではないかとわかった

少しだけ覚えてる歌詞とあの頃のCD売上ランキングなんかを頼りに検索したら、あの曲が誰のなんていう曲なのかすぐわかって、また聴くことができそうだ

 


でも、あの時のあの小さい音で聴いたあの曲を、どこの誰が歌ってるのか知っちゃったら、また聴くことができちゃったら、なんかあの夜が終わるような気がして、

ずっと、知らない曲のままにしていたかった

あの曲のことをわかってしまったら、父とのあの夜が、大したことない思い出に変わっちゃうような気がしていた

 

 

 

私は25歳になった

アルコール依存症うつ病、その他精神疾患を数々患って、治療のために精神薬を飲んでいる

過度飲酒の影響で脳が縮んだのと、処方されてる精神薬で頭が常にポーっとしてるせいで、日々の記憶が薄い

 


一昨日、ふと父とのあの夜のことを思い出した

父が私だけに秘密の話をしてくれた夜

あのとき流れていたあの曲を頭の中で流そうとした

できなかった

忘れてしまった

どんな歌詞かもどんなメロディかも思い出せない

いくら考えても全く思い出せない

 


今日もまたあの曲を思い出そうとした

でも、思い出せない、何も

歌詞も、メロディも、

あんなに何年もずっと頭に残ってたのに

 

父と私二人だけの夜が、記憶の中でだけ生きていた父との思い出が、終わってしまったみたいで、ただ悲しい